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佐賀地方裁判所 昭和39年(行ク)1号 決定 1964年5月18日

申立人 佐賀県地方労働委員会

被申立人 株式会社佐賀専門店会

主文

被申立人は、自己を原告、申立人を被告とする当庁昭和三九年(行ウ)第二号救済命令取消請求事件の判決が確定するに至るまで、申立人が昭和三九年四月二二日佐賀県地方労働委員会昭和三九年(不)第七号事件につき被申立人に対してなした命令に従い、佐賀専門店会労働組合と被申立人の従業員の指名解雇に関し、一定の日時場所を指定してすみやかに団体交渉をせよ。

(裁判官 弥富春吉 安部剛 長谷川俊作)

〔参考資料〕

命令書

申立人 佐賀専門店会労働組合

被申立人 株式会社佐賀専門店会

上記当事者間の佐労委昭和三十九年(不)第七号事件につき、当委員会は昭和三十九年四月二十一日第二七八回公益委員会議において、会長公益委員永田長円、公益委員内山良男、公益委員矢野宏、公益委員緒方義海、公益委員平野義隆出席し、合議の結果つぎのとおり命令する。

主文

被申立人は、申立人と指名解雇に関しての団体交渉を、速かに行わなければならない。

理由

第一、認定した事実

一、被申立人株式会社佐賀専門店会(以下「会社」という。)は、肩書地において資本金二、五〇〇万円、従業員四十六名を以つて、主として割賦購入あつせんを業とするものであり、申立人佐賀専門店会労働組合(以下「組合」という。)は、会社従業員二十六名で組織する単位労働組合であり、佐賀地区労働組合協議会および佐賀県労働組合総評議会(以下「総評」という。)に加盟するものである。

二、団体交渉の経緯

(1) 会社は、昭和三十九年二月二十日団体交渉(以下「団交」という。)の席上で、人員整理案を組合に示しこれについて二月二十七日団交を開いたが、指名解雇の点で組合の反対に遇つた。

そこで整案理に基き、二月二十八日から二十九日の正午まで希望退職者を募つたが、希望者が出なかつたので、組合員十六名と外一名に指名解雇の手続を採つた。

組合は二月二十九日人員整理についての団交を申入れたが、拒否されたという不当労働行為の申立てと、他に指名解雇は組合弾圧の手段であるという不当労働行為の申立てを、それぞれ三月二日に行なつた。

三月三日午前中佐賀県地方労働委員会(以下「地労委」という。)より、会社の代表取締役田中明(以下「田中」という。)に、組合より団交拒否を理由とする不当労働行為の申立てのあつたことを連絡したところ、

(イ) 交渉人員を十名とする。

(ロ) 地労委で会社側交渉員の身体の安全を保障する。

(ハ) 地労委事務局職員が立会すること。

の条件が充足されれば団交に応ずる旨の回答があり、組合もこれを了承した。

同日午後三時二十分頃から、地労委事務局山田調整課長と同課祝審査係長(以下「祝」という。)の立会のもとに団交を行なつた。

(2) 団交の冒頭において組合側および会社側交渉員の紹介、並びに交渉責任者として組合側は総評事務局長野口昌敏(以下「野口」という。)を会社側は田中を定めた。

組合側は二月二十九日の団交申入れに関する件で、会社の松尾人事労務担当課長と組合間における軋轢について、卓を叩き高声を発し、これを詰るという場面がみられたが、午後五時四十分休憩に入つた。

休憩時間中に田中は、このような団交は無意味なので、早く本論に入られるような努力と、また、この状態が継続されると団交を打切りたい旨を立会人祝に申出た。

祝は野口に、今までの状態が続けば会社は団交を打切る意図のようだ。

早く本論に入つたらどうかと話合つた。

野口は交渉員と図つて善処したい会社がこのまま帰るようであればピケを張ると述べた。

そこで祝は田中に、野口に早く本論に入るよう慫慂した旨を告げたが、尚も団交を打切りたいという言辞が聞かれたので、このまま帰ればピケを張るという野口の言を伝えた。

(3) 午後七時過ぎ頃再び団交が開かれ、組合から人員整理の具体的問題について充分話合いがなされていないので、解決するまで指名解雇を一時停止して欲しいと主張したが、会社は人員整理は赤字によるもので、これは会社の再建のための方針であるとの説明と、解雇者の就職あつせんの努力は惜しまない等の説明がなされた。

また組合側交渉員数名の交替があり、重複的質問が一部行なわれた。

午後七時四十分頃、田中が団交打切りを宣し立会人祝の許に来た際、組合側交渉員五~六名が立ち上り団交打切りを阻止しようとして、一時騒然とした雰囲気に陥つたが、立会人に説得され双方とも直ちに元の座につき団交を継続した。

その後指名解雇者の氏名、指名解雇の基準や、個人別評価についての質疑応答がなされた。

この間組合側交渉人員に三~四名の増加をみたが会社側交渉員より指摘され直ちに席外に退去した。

さらに交替した組合側交渉員が重複した質問を行なつた時、田中の抗議で直ちに質問を撤回したこともあり、午後九時過ぎ頃休憩に入つた。

(4) 午後九時三十分頃再度の団交開始となつたが、以前と較べ和らいだ席上の空気のもとで行なわれた。

現在会社に資料がなければ次回団交の際

(イ) 会社再建計画案を提示して貰いたい。

(ロ) 赤字の原因と不良債権等を明示して欲しい。

(ハ) 指名解雇の効力を一時停止することを、重役会で図つて貰いたいまた明朝午前九時に指名解雇の個人別査定書類を提示して欲しい等の組合の要求に対し、会社はこれを了承し、三月六日の午後一時から以上のことについて団交を開く、場所は会社が指定するということで、午後十一時頃団交は終了した。

会社はその後、三月六日の団交を応じなかつたので、組合は三月二日の団交拒否の不当労働行為の申立てを取下げ、新らたに、これについて不当労働行為の申立てを行なつた。

第二、判断

一、会社は、三月三日団交の席上で取決めた三月六日の団交を、破棄する正当な理由として、

(1) 交渉打切りをするならピケを張つて退去させない旨を、野口より通告があつた。

(2) 交渉人員を十名と約束していたにも拘わらず、多いときは十四名におよび、また次々と交替し延二十名程の交渉員が出席した。

(3) 交渉継続をすることが不可能と思い、交渉打切りを申し入れたところ、別室にいた者がなだれを打つて交渉室に殺倒した。

(4) 長時間の監禁と脅迫にあい疲労困憊の極に達した。

(5) 会社側交渉員を屡々つるし上げをする等脅迫行動を行なう等の状況で、全く正常な団交を望むべくもなかつた。

と主張するので、以下これについて判断する。

二、(1)ピケの通告は、会社からの申出で立会人祝が、組合の交渉責任者である野口に早く本論に入る様慫慂する際、このままの団交継続であれば、会社は団交を打切ると言つたことについて、祝、野口間の話中の言辞であり、会社に対する特段の通告とは趣を異にする。

(2)について謂えば交渉人員の約束があり、且つ団交開始に当り交渉責任者を相互に定め、交渉員各自の自己紹介を行なつた後は、別段の定めがなくとも交渉員は特定されたものと考えるのが至当で、相手方交渉員の同意を得たときは格別、一方的に組合は交渉員の交替を行なつた。

しかし、団交時に会社がこれを指摘した事実はない。

また交替した交渉員が重複質問を行なつたことが挙げられるが、会社の抗議で直ちに質問を撤回、陳謝しておりさらに交渉員の増加についても、会社の指摘で超過人員を早々に退去させたこと等と併せ考えると、会社の非難に多少の理由もあるが、団交拒否の正当理由までは至らない。

(3)、(4)、(5)についての会社の主張はこれを疎明するに充分ではない。

他に謂えば、会社のいうピケ通告、団交打切り宣言に対する当時の雰囲気、組合側の言動の一部よりみて、次回団交を約さなければ、早く帰路につけないという危惧の念を生じたことを、一応窺知出来ぬものではないが、組合員二十六名中十六名の指名解雇という現実の事象を相対的に考え合わせ、また次回団交の提案内容が具体的なものであり、且つ、過度の要求とは認められない。

惟うに団交拒否の正当な理由の有無は、使用者の誠意、団交の対象たる事項、手段、方法の相当性等を綜合して勘案さるべきものである。

以上のことから、会社の主張は団交拒否の正当な理由とは首肯し難い。

第三法律の根拠

会社が組合と三月三日に取決めた団交を拒否することは、労働組合法第七条第二号に該当する。

よつて、労働組合法第二十七条および労働委員会規則第四十三条を適用して、主文のとおり命令する。

昭和三十九年四月二十二日

佐賀県地方労働委員会会長 永田長円

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